
韓国時代劇に魅せられて・・・・ 【 トンイ 】の物語りも最終回を先週終わり 今回は朝鮮王朝の系図・【 後編 】を書きます
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朝鮮王室の工芸品9点、尹錫悦前大統領官邸に運び出されていた …い合わせ…大統領室が運び出す 尹錫悦(ユン・ソクヨル)前大統領夫妻が朝鮮王朝の高宗と明成皇后の居所とされる景福宮(キョンボックン)の乾清宮(コンチョ… (出典:ハンギョレ新聞) |
先週 【 トンイ 】の物語りも 最終回を迎えました 🤗
本日は 朝鮮王朝『 後編 』 歴代王 の 系図と人物像を書いておきます🥰
❤️ 第15.代王・光海君(クァンヘグン)38歳・次男 (1608年 ~ 1623年)
宣祖の庶子、しかも次男でありながら世子となったために、結局、「正当な王位継承者ではない」ということで、クーデターで退位させられてしまった気の毒な王様です。「火の女神ジョンイ」や「華政」など、ドラマにも多く描かれることが多いです。
❤️ 第16代王 ・仁祖(インジョ)28歳・甥 (1623年 ~ 1649年)
クーデターで王位に着いたものの、「胡乱(清の侵攻)」によって屈辱を味わうことになった王様です。その屈辱にもんもんとした一生を送ったらしく、実の息子や孫まで手にかけてしまいます。この不安定な時代を扱ったドラマは、「推奴」「一枝梅」「花たちの戦い」「華政」など面白いものが多いですよ。
# 胡乱(うろん) とは・・・・主に怪しいこと、正体が不明で疑わしい様子を意味します。
❤️ 第17代王 ・ 孝宗(ヒョジョン)次男・30歳 (1649年~1659年)
兄の昭顕世子とともに、8年間清で人質生活を送り、その後王位につきます。父の仁祖の屈辱を晴らすために、「北伐」を企てたことでも知られます。ドラマにはあんまり出てこないかな。--
# 「北伐(ほくばつ)」とは、一般的に南方から軍隊を動かして北方勢力と戦うことを指します
❤️ 第18代王 ・ 顕宗(ヒョンジョン)次男 18歳 (1659年 ~ 1673年)
日本や清の侵攻からようやく落ち着きを取り戻した時代を生きた王様ですが、お祖母ちゃんにあたる慈懿(チャウィ)大妃の「服喪期間」をめぐって非常にややこしい政治問題に巻き込まれます。「馬医」に登場した王様です。
# 第16代国王仁祖の継妃である**荘烈王后(チャンリョルワンフ)**です。彼女は存命中に息子の孝宗、孫の顕宗の二度にわたる「礼訟(イェソン)」論争の中心人物となったことで知られています。( 通常・喪に服するのは3年と言われてます )
❤️ 第19代王 ・ 粛宗(スクチョン) 13歳 長男 ( 1674年 ~ 1720年 )
女性問題でもめた王様といえば、この人。でも政治的には、熾烈な党派争いのなかを生きた有能な王様です。もちろん、「トンイ」や「チャン・オクチョン」では、イケメンさんが演じてます。
# 粛宗(スクチョン) の性格
『トンイ』を初めとして朝鮮王朝を舞台にした時代劇で本当によく出てくる19代王の粛宗(スクチョン)。朝鮮王朝に27人いる国王の中で、粛宗は頭の切れがピカイチだったと言われている。
しかし、あまりに性格がわがままだった。それゆえ、王宮の中で大騒動に発展する女性トラブルを何度も起こしている。それは、数々の時代劇で描かれたとおりなのだ。
【関連】独善的な性格だった粛宗は周囲の困惑を楽しむような変人だった!?
❤️ 第20代王 ・景宗(キョンジョン) 長男 32歳 ( 1720年 ~ 1724年)
お母さんは、張禧嬪(チャン・ヒビン=チャン・オクチョン)。生母が父親によって殺され、さらに病弱の上、嫡子を残せず亡くなった悲運の王様です。
❤️ 第21代王 英祖(ヨンジョ)次男 30歳 (1724年 ~ 1776年)
母親の身分が低いにもかかわらず王となり、長い治世を誇ることになる王様です。人材を広く登用した「蕩平政治」を行うなど名君として知られますが、息子の思悼(サド)世子を米びつに入れて殺してしまうという事件でも有名です。このあたりは「武士ペクドンス」がおススメです。
# 母親 【 トンイ 】 で有名です
# 息子の思悼(サド)世子を米びつに入れ 殺してしまう事件は
【 イ・サン 】のドラマになり 有名ですね ‼
❤️ 第22代王 正祖(チョンジョ) 孫 24歳 ( 1776年 ~ 1800年 )
「イ・サン」こと、正祖は、世宗に告ぐ人気を誇る名君です。とはいうものの、常に暗殺の危機に直面していたという気の毒な王様でもあります。実学を重んじ、朝鮮の近代化を進めようとした王様です。「成均館スキャンダル」など、どのドラマでも素敵な王様として描かれています。
# 「イ・サン」ストーリー ・・・・・ 『 イ・ビョンフン 』監督
イ・サンを主人公とした物語である。朝廷内の派閥争いや当時の朝廷内の機関である図画署(トファソ、主に朝廷内で起きた行事を絵で記録するための部署)などにスポットを当て、サンの即位を阻止しようとする陰謀、即位後も常に命を狙われつつ、政治の改革に着手するサンの波乱に富んだストーリーが展開される。サンの父・思悼世子は、サンの祖父であり李氏朝鮮第21代国王である英祖の後継であったが、朝廷内の派閥の陰謀により無実の罪で刑死させられた結果、紆余曲折の末にサンが英祖の後継となる。当時の朝廷内は老論派(ノロン派)と呼ばれる派閥が重きをなしており、老論派と対立する少論派(ソロン派)および南人派(ナミン派)を支持するサンは常に老論派から命を狙われることとなるが、幼少期に出会い友情を結んだパク・テスやソン・ソンヨン、父が重用していた忠臣などの助けにより、朝廷内の誤った慣習を撤廃させ、当時の政策に改革を加えるなど、自身の理想とする政策を立案、実行する他、派閥を問わず能力のある者を登用し、朝鮮末期文化に華を開かせた
❤️ 第23代王 純祖(スンジョ) 次男 10歳 ( 1800年 ~ 1834年 )
正祖の死後、10歳で即位します。しかし、治世は曾祖母にあたる貞純(チョンスン)王后の垂簾聴政と安東・金氏の勢道政治によって混乱し、社会は疲弊していくこととなります。
# 貞純(チョンスン)王后 ・・・・『 イ・サン 』の継母
1800年、純祖の即位直後より大王大妃として垂簾聴政を行い、取り止めるまでの3年間権力を振るった。この間に貞純王后は天主教信者を含む南人系の実学者達を弾圧し(辛酉邪獄(朝鮮語版))、丁若鏞、李家煥等を粛清した。1803年12月に垂簾聴政を取りやめ、1805年、昌徳宮景福殿にて死没した。享年61。英祖の陵である元陵に埋葬された。
❤️ 第24代王 憲宗(ホンジョン) 孫 7歳 ( 1834年 ~ 1849年)
純祖の孫で、7歳で即位。純祖の時代から続くカトリックへの弾圧などが、列強へ進出の口実を与えることとなります。22歳の短い生涯で、嫡子も残さずに逝去します。
# わずか8歳で即位し、病弱だったため、23歳で崩御した。純祖の孫で、孝明世子の息子。母は趙万永の娘の神貞王后趙氏。純祖の妃である純元王后が摂政となっていたが、安東金氏(純元王后の実家)と豊壌趙氏の勢力争いがあった。なお、正祖の血を引く王としては最後の王である。
❤️ 第25代王 哲宗(チョルチョン) 叔父 18歳 (1849年 ~ 1863年)
反逆罪で配流となった王族の子として、細々と江華島で田畑を耕していましたが、王位が突然降って沸いたように転がり込んできた王様です。安東・金氏の勢道政治の前に成すすべなく、酒と女におぼれて32歳で亡くなります。「Dr.Jin」で、主人公ジン・ヒョクに看取られて亡くなるのはこの王様です。
❤️ 第26代王 高宗(コジョン) 大甥 11歳 (1863年 ~ 1897年)
父親の興宣(フンソン)大院君は、安東・金氏の目を欺くために、ごろつき同然の生活をしながら、虎視眈々と王位を狙い、自分の息子を神貞(シンジョン)王后の養子に入れて即位させました。そのため、お父さんの大院君とか、妻の明聖皇后(閔妃)のほうが有名です。「明成皇后」や「朝鮮ガンマン」など、どちらかというといつも脇役です。
# 大院君(たいいんくん 1820-98)は19世紀後半、朝鮮王朝の最末期に、国王高宗の実父として政権を握り、最も強い影響力を持った人物であった。1863年、実権を握るとそれまでの有力な両班が政権を争う世道政治の弊害を無くす改革に努めると共に衛正斥邪の思想に基づく保守的な鎖国政策をとって外国勢力と闘い、また民衆反乱の抑圧を行った。
❤️ 第27代王 純宗(スンジョン)
日本政府によって即位させられた朝鮮王朝最後の王です。在位期間中に、日本の侵略を受けて次第に主権を喪失、1910日韓併合によって李氏による王朝は幕を下ろしました。
# 純宗(スンジョン)は、高宗(コジョン)の長男で、母は明成(ミョンソン)皇后・閔氏です。日本政府によって強制的に退位させられた高宗の譲位を受けて、朝鮮第27代王、大韓帝国第2代皇帝として即位しました。とはいえ、その在位期間は日本の侵略を受け続け、ついには主権を喪失し、朝鮮王朝の幕を閉じることとなります。
💐💐💐 以上が 朝鮮歴代の王様の 系図です
1人1人の方々が王様でなく 人間としての人生を送れたら ・・・・考えます
💕 次回は 【 トンイ 】 の時代に起きた 日本と世界の歴史を書きます 🤗
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